ミニマリストが幸せではないということについての反論

 

 ミニマリストは質素倹約という見方で肯定的な意見もありますが、実際問題としてミニマリストを達成できる人も多くはないので、どちらかというと批判的な意見が多いような気がします。

 批判的というよりは嫉妬に近いものなのかもしれません。それは逆説的に考えると我々の多くは様々なモノに縛られて生きているということだとも言えます。

 ミニマリストは徹底的に不要なモノはそぎ落としてモノを所有するという呪縛から解き放たれています。究極的にはモノだけではなく、対人関係も含めて縛られていないというのが実感です。

 人は社会生活を営む生命体ということを多くの人が認識している中で人間関係も含めてミニマリストはそぎ落とせるモノはそぎ落としているのでやはり羨望というよりは嫉妬に近い感じになってしまいます。

 

https://www.adwords-exam.info/entry/app-earning

 

 そういう意味では本来であれば僧侶もミニマリストと言えるのですが、現実問題としてミニマリストの権化であるはずの僧侶が都内のホテルで女子高生との乱交パーティーに参加し、わいせつな行為をしたとして僧侶や医師が書類送検されたような話を見聞きすると欲望を絶つというのが非常に難しいということを肌身で感じます。

 

https://www.adwords-exam.info/entry/reach

 

 性欲という欲望の卑近な事例を出してしまいましたが、檀家には極力気づかれないように海外の高級車を乗り回していたり、僧侶というミニマリストが欲望の権化であることも薄々は多くの人が気づいています。

 そんな中で僧侶でも欲望を消去できないほどの本能的な欲望を抹消しているミニマリストは羨望されるべきであり、幸せではないと決めつけることで、己が如何に欲望まみれの汚い人間であるかということを気づかされるのが不愉快なのでしょう。

 

https://www.adwords-exam.info/entry/smart-bid-machine-learning

 

 嫉妬で他人を貶めるコトで自我を保っている人は多くはないと考えている人も少なくないですが、ソーシャルメディアでの誹謗中傷を鑑みてみると、欲望の増殖装置であるSNSの中毒性が悪いという考え方もありますが、ミニマリストに限らず他人と比較して生きていくコトが生きる糧になってしまっている人は決して少なくないということでミニマリストが幸せではないということについての反論を終わりにしたいと思います。